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2020年08月01日(土)
目次 | 著者 | 住 所 (投稿時) |
年 齢 (投稿時) |
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体験編 | |||
◆第一部 国内での体験 | |||
東洋工業で体験した原爆の日のこと | 縫部 栄子 | 広島市 | 90 |
長崎で多くの負傷者に埋まり、直接熱射受けず助かる | 高塚 衛 | 宮崎市 | 90 |
出水の海軍航空隊整備兵で「九死に一生」を三度得る | 大久保 覚 | 高知市 | 95 |
十四歳で海軍二等兵だった私の戦争 | 大石 容一 | 静岡県藤枝市 | 89 |
下着を着ていた女子が男の先生に殴られた恐怖 | 足立 恭子 | 京都府宇治市 | 85 |
父出征後の新聞販売店を守った母、片肺に | 中野 二三子 | 大阪市 | 85 |
「東洋英和女学院」の英の字が「永」に | 栗原 たつ子 | 静岡県三島市 | 92 |
学童集団疎開で、寂しさと、ひもじさ味わう | 石山 皓一郎 | 埼玉県ふじみ野市 | 87 |
やっぱり「届かなかった〝あの〟場所」 | 中村 宏 | 静岡市 | 87 |
東京大空襲、学校の防空壕に入れず、助かる | 清水 忠造 | 福島県いわき市 | 83 |
あの東京大空襲から家族を守った父の姿 | 桜井 広治 | 千葉県船橋市 | 83 |
大阪大空襲後の市内を歩き、自宅で母に会う | 伊藤 裕康 | 大阪府豊中市 | 87 |
二上山麓から目にした燃え上がる阿倍野周辺 | 森井 淳吉 | 大阪府太子町 | 90 |
神戸空襲、焼け残った家財積み父の郷里へ | 尾崎 惠津子 | 奈良市 | 85 |
忘れ得ぬ神戸空襲の「あの日、あの時」 | 吉田 美紗子 | 香川県三豊市 | 91 |
今治大空襲、家の前を避難民の行列が続く | 八木 一堯 | 愛媛県今治市 | 87 |
富山大空襲、避難した群衆の中に姉見つけ抱き合う | 嶋作 恭子 | 富山市 | 88 |
母の涙と無念の心も引き継ぎ頑張る | 手登根 光子 | 沖縄県浦添市 | 82 |
実家は寺で軍隊駐留 隊長にのらくろ描いてもらう | 本山 冨美子 | 熊本市 | 86 |
忘れ得ぬ昭和二十年前後~私の小さな戦争体験 | 森 髙清 | 熊本県玉名市 | 86 |
神社で玉音放送聞くとみな無表情だった | 横山 忠雄 | 宮崎西都市 | 88 |
国民学校二年で「教育勅語」はこうして覚えた | 山内 研治 | 大阪府豊中市 | 85 |
「ゴマすり」、軍隊式の集団疎開を体験させられる | 安原 照雄 | 千葉県習志野市 | 83 |
父が校長で転校、私も転校し集団疎開する | 椿 明子 | 大阪府箕面市 | 85 |
戦争で疎開に振り回された私の青春 | 今村 怜子 | 静岡県浜松市 | 87 |
集団疎開で福島へ行き、縁故で青森へ | 中村 祐子 | 兵庫県芦屋市 | 84 |
「集団疎開」で忍耐力など学ぶ | 河井 善三郎 | 名古屋市 | 86 |
学童集団疎開「泣いたらあかん」と言われたのに泣く | 吉田 淑子 | 岡山県津山市 | 87 |
豊川海軍工廠で第一次女子挺身隊として働く | 背戸 タツヱ | 奈良県橿原市 | 92 |
七十五年前の左膝を取り戻したい | 鈴木 明子 | 栃木県壬生町 | 86 |
班長の家族六人が防空壕で焼死される | 松崎 貞憲 | 大阪府羽曳野市 | 91 |
憧れの女学校に入るも軍需廠へ動員の日々 | 加藤 美知子 | 愛媛県今治市 | 90 |
◆第二部 国外での体験 | |||
ニューギニアで衛生兵として闘うも無惨 | 政本 道一 | 香川県三豊市 | 100 |
私が「大連引揚者」の証明に七十年 | 本田 慶喜 | 茨城県ひたちなか市 | 74 |
「軍隊は運隊なり」私の幸運な出会い | 久保 正 | 岡山市 | 96 |
三井農林海外要員として入社、現地召集後も麻の畑開墾 | 坂上 多計二 | 鹿児島県姶良市 | 95 |
実は情報将校だった「英語教師」 | 廣繁 喜代彦 | 東京都 | 90 |
◆第三部 亡き人たちの証し | |||
〝走り続けた兄〟二十二年の生涯 | 池田 義 | 岡山県真庭市 | 84 |
父は軍医で出征するも戦死、母は戦後滋賀で開院 | 大辻 喬夫 | 滋賀県犬上郡 | 81 |
多くの犠牲の上に今日在ることを語り継ぎたい | 岡﨑 節子 | 岡山市市 | 83 |
父戦死、母再婚せず私を育ててくれる | 村松 洋一 | 静岡県焼津市 | 77 |
グラマン機銃掃射、二人の学友の死を語り継ぐ | 久田 政男 | 滋賀県東近江市 | 84 |
戦争は人を殺させ、人間の心を踏みにじる | 松原 美省 | 三重県伊賀市 | 89 |
父眠る島、徳之島へ慰霊塔建立 | 上枝 志鶴代 | 香川県さぬき市 | 85 |
◆第四部 特別編 | |||
呉海軍工廠水雷部で回天の部品作る | 緒方 久和子 | 京都市 | 91 |
「回天」六基を搭載し出撃した伊三十六潜水艦 | 立花 保夫 | 兵庫県姫路市 | 97 |
「軍艦足柄」撃沈されるも、積荷の酒樽で生き延びる | 難波 和夫 | 島根県飯南町 | 100 |
死の恐怖をはらむ大音響の正体は何だったのか | 平井 喜郎 | 東京都 | 89 |
学校が突然兵舎になり、私たちは勤労奉仕に | 信吉 貴美子 | 高知県佐川町 | 88 |
御堂筋が「火の川」になった日のこと | 吉川 久美子 | 大阪市 | 88 |
ぬぎ捨てたシャツに機銃の穴二つ | 黒瀬 杲 | 大阪市 | 88 |
関東軍は我々を見棄て、私は李さんに助けられた | 河嶋 時行 | 大阪市 | 82 |
ミズーリ号へ激突死した石野兵曹の慰霊祭に参加 | 森 隆澄 | 大阪市 | 92 |
伝承編 | |||
◆第一部 国内での体験 | |||
母子の愛に機銃掃射免れ、命を繋ぐ | 法蔵 美智子 | 奈良県生駒市 | 75 |
飢餓と特攻で早逝した五人の従兄を想う | 柴田 敦子 | 兵庫県宝塚市 | 81 |
〝戦中生まれ派〟 ──きれいなままの防空頭巾 | 川口 祥子 | 大阪府箕面市 | 75 |
敗戦後、熊本を襲撃したグラマン | 大沢 寛行 | 東京都 | 69 |
未来に残す戦争の体験談 | 秋山 三千代 | 兵庫県芦屋市 | 86 |
父、三度目の「赤紙」で出征するも生還 | 下村 勉 | 大津市 | 80 |
〝山奥での戦争〟空から落ちて来た米兵 | 吉田 千喜代 | 熊本県大津町 | 79 |
和歌山大空襲、業火が全てを焼き尽くす | 永原 瑞子 | 和歌山市 | 75 |
青春を母の看病に捧げた義母、心から平和を願う | 青木 道子 | 山梨県南巨摩郡 | 68 |
被弾した足を切断、生きる気力失う | 梅田 秀雄 | さいたま市 | 70 |
◆第二部 国外での体験 | |||
危機一髪を体験した父のインパール作戦 | 辰巳 政司 | 奈良県大和高田市 | 83 |
父はグアム島で戦死、母は無理が祟り肺結核に | 笠井 剛州 | 兵庫県加古郡 | 77 |
◆第三部 亡き人たちの証し | |||
残された戦記から浮かび上がる祖父の姿 | 福壽 みどり | 鳥取市 | 46 |
「靖国神社の父は神様」と教えられ亡き父の夢を見る | 熊代 和子 | 和歌山市 | 90 |
インパール戦で戦病死した伯父が残した四冊の日記 | 鈴木 和子 | 宇都宮市 | 71 |
父からのカタカナ書きの手紙 | 藤原 守幸 | 愛媛県今治市 | 81 |
終戦後の事故で亡くした長男想い慰霊碑を建てる | 田村 秀子 | 高知県吾川郡 | 85 |
戦後七十余年を過ぎて、亡き父と母を知る | 塚本 眞人 | 静岡県藤枝市 | 74 |
◆第四部 戦後、それからの私たち | |||
忘れられない写真と二十四の瞳の紙芝居 | 森 崇 | 香川県小豆郡 | 75 |
「平和の鐘を鳴らそう」歌詩作り合唱 | 岡部 学 | 岡山県倉敷市 | 76 |
◆第五部 特別編 | |||
特攻隊の誘導、途中でエンストし命落とす学生や哀れ | 大牧 昭夫 | 栃木県鹿沼市 | 70 |
医師として刈り出された父の語る原爆 | 富永 敦子 | 静岡県藤枝市 | 77 |
哈爾濱学院25期生、南寮退去前後のことども | 横山 享 | 大阪府羽曳野市 | 76 |