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2015年12月19日(土)
2015年12月19日(土)
巻頭随想 帝塚山学院のひとびと | 山田 政弥 | |||
春秋対談 芝川能一VS橋爪紳也 アートを活かして社会に貢献 水都再生と北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想 |
構成 長山 公一 | |||
随 筆 春 秋 |
生きる現代文学の、大阪の身ぶり~釜ヶ崎から、美を語ること | 上田假奈代 | 田辺に恋して | 吉村 直樹 |
(俳句)秋刀魚 | 植野 順聞 | 私のボランティアガイド体験記 | 藤井 里江 | |
船場は東京の別荘地 | 三島 佑一 | (短歌)螺旋階段 | 森田 弘子 | |
おいしいケーキ屋さんがご近所にあること | 町村ひとみ | 五代友厚から『風立ちぬ』へ | 森内 憲 | |
* * 帝 塚 山 モ ダ ニ ズ ム | 花 咲 い た モ ダ ン 大 阪 の 文 化 圏 | * * |
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Ⅰ 帝塚山風土記 帝塚山の歴史と文化 | ||||
帝塚山古墳 ―「大帝塚」「小帝塚」をめぐって― | 波々伯部守 | |||
帝塚山と鉄道~阪堺上町線を中心に~ | 工藤 寛之 | |||
住吉区・阿倍野区にまたがる帝塚山~地名の変遷をたどる | 淺川 裕俊 | |||
特別企画 四代目阿部喜兵衛氏が語る 帝塚山と摂津酒造の思い出 |
取材・文 和田 充洋 | |||
芝川家の資料に見る帝塚山の土地開発 ―芝川又四郎と竹鶴政孝・リタ― |
千島土地アーカイブ (千島土地株式会社)より |
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日本ウイスキーの父 竹鶴政孝夫妻(マッサンとリタ)と帝塚山の家 | ますの隆平 | |||
住吉村常盤会について | 薬丸 保樹 | |||
帝塚山と蔵 ―蔵のまちの魅力を再発見― | 竹山 通明 | |||
三〇回を迎える 帝塚山音楽祭 | 澤 直 | |||
誌上まち歩き レトロモダンのまち帝塚山を往く | 城田 廣平 | |||
Ⅱ 帝塚山学院100年 帝塚山の象徴、その歴史とひと | ||||
帝塚山学院の創立と庄野貞一の教育理念 | 八木 孝昌 | |||
庄野英二邸「にぎやかな家」の誕生 小出泰弘の建築と帝塚山モダニズム |
中村 正樹 | |||
『三角屋根の古い家』 (第一七章を再録) | 庄野 至 | |||
Ⅲ 帝塚山派文学学会 大阪の文学のイメージを変革 | ||||
帝塚山派文学学会設立記念講演会・設立総会開催報告 | 帝塚山派文学学会事務局 | |||
庄野英二・庄野潤三の最初期作品見つかる 庄野英二作「落葉松」第十回・庄野潤三作「籠の鳥」第十五回 (『帝塚山学院同窓会誌』第十号より転載) |
解説 八木 孝昌 | |||
帝塚山文化圏という文学の土壌 ―帝塚山派の作家・詩人たち― | 高橋 俊郎 | |||
付録解説 「南海電車名所案内」(大正三年)+「南海沿線案内」(大正六年) | 工藤 寛之 | |||
短歌(日本歌人) | ||||
川柳(川柳塔社) | ||||
おおさか詩苑⑥ 酒 房 | 中西 弘貴 | |||
大東特集(160号)補遺 彫刻家・浅野孟府がいた町~ゆかりの質屋と裸婦像秘話 |
浅野 詠子 | |||
田辺聖子『おちょろ舟』と鴻池屋 ―瀬戸内御手洗ものがたり― |
佐久間貴士 井上 伸一 |
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江戸時代 なにわ商人の才覚② 涌浦館 ―和倉温泉が大坂へ | 飯田耕二郎 | |||
商都再考 大阪の問屋街を歩く 最終回 淀川区西宮原・新大阪センイシティー |
髙橋 愛典 | |||
なにわの画伯 成瀬國晴氏に聞く(15) 「挿絵」の心得 | 聞き手 橋爪節也+古川武志 構成 長山公一 |
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武藤治太の ふらりひょうたん 第15話 繊維関連問屋・卸商、関西五綿と船場八社(下) |
武藤 治太 | |||
なにわの考古学最前線⑪ 河内の守護所~高屋城跡とその周辺 | 河内 一浩 | |||
甦った百々之助映画 ―何が映画フィルムをそうさせたか― | 藤本 貴司 | |||
資料紹介 相場師に利用された相場表 自天保元年至明治三十四年定期米高低表 |
藤尾 隆志 高槻 泰郎 |
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関西・芸術鑑賞日記 アートいえば交友58 |