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2014年08月20日(水)
清水 正博 (しみず まさひろ)
1950年長野県上田市生まれ。電気通信大学卒業、関西系大手小売業に入社。物流、市場調査、中期計画、人材開発、店舗運営、店舗開発等を歴任後、系列のシンクタンクの代表取締役を12年間務め、顧問に。
社団法人心学明誠舎理事、社団法人実践人の家理事、中小企業診断士、人間学塾・中之島世話人代表。
著書に『新入社員の常識』(商業界)、『流通論』(編著)、『こころをみがく』(心学明誠舎、共著)など。
2014年08月08日(金)
木村賢司
1937年大阪生まれ。大阪市立泉尾工業高等学校卒業。日本ペイント株式会社に42年間勤務。定年後、自適。趣味雑多、一番は釣り。元古田史学の会全国世話人、文化創造倶楽部古代史&歴史塾世話人。
山浦 純
1943年神戸生まれ。大阪大学工学部卒業。大阪府庁に29年間勤務。古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』に衝撃を受け、市民の古代から古田史学の会へ。退職後、古代史、小説、俳句を趣味とする。
大下隆司
1945年京都生まれ。大阪外国語大学イスパニア語科卒業。光洋精工株式会社に37年間勤務。定年後、古田史学の会全国世話人。現在は豊中歴史の会主宰、NPO法人とよなか・歴史と文化の会理事。
田中 弘
1942年大阪生まれ。大阪市立市岡商業高等学校卒業。熊谷商事株式会社に48年間勤務。文化創造倶楽部・古代史&歴史塾に参加。現在、先人に学ぶ人間学塾世話人。会津八一と短歌を愛す。
小野元裕
1970年大阪生まれ。天理大学外国語学部ロシア学科卒業。株式会社新風書房に13年間勤める。2005年日本ウクライナ文化交流協会設立のためウクライナへ。帰国後、ドニエプル出版設立。現在、ドニエプル出版社主、株式会社東大阪新聞社代表取締役・主幹、文化創造倶楽部代表世話人、日本ウクライナ文化交流協会会長、大手前大学非常勤講師、法務省保護司。
2014年08月01日(金)
目次 | 著者 | 住 所 (投稿時) |
年 齢 (投稿時) |
---|---|---|---|
◆第一部 国内での体験 | |||
言問橋下の隅田川で父と姉が犠牲に、母と私は助かる | 清岡 美知子 | 東京都練馬区 | 90 |
私たちは言問橋を渡って逃れるも父帰らず | 斉藤 信子 | 神奈川県川崎市 | 89 |
東京大空襲~被災から学んだ生きる道 | 川島 正雄 | 東京都日野市 | 77 |
「東京大空襲」我が家も街ごと、怨念の火消えず | 深津 泰蔵 | 東京都西東京市 | 83 |
東京大空襲焼夷弾を手で掴み外へ投げ出す | 伊藤 稔 | 栃木市 | 82 |
空襲下を生き抜く。戦争は二度としないで! | 庄司 芳江 | 東京都 | 84 |
東京大空襲、炎から守って下さった施設の人 | 草柳 翠 | 東京都 | 86 |
ゲートルを脱いだ日「うん、これで勉強できる」 | 滝本 重市 | 神奈川県秦野市 | 83 |
ダダをこね東京へ帰らなかった私だけが助かる | 松原 慶子 | 埼玉県草加市 | 75 |
八王子大空襲の悲惨な渦に巻き込まれる | 並木 幸雄 | 東京都昭島市 | 88 |
横浜大空襲、トンネルに入れてもらえず助かる | 竹島 忠昭 | 東京都 | 85 |
終戦前日、秋田・日本石油製油所の猛爆に巻き込まれる | 伊達崎 道子 | 新潟市 | 79 |
「長岡市爆撃」事前予告の米軍伝単拾う | 緑川 真澄 | 東京都国立市 | 80 |
生きた心地がしなかった艦砲射撃を体験 | 加茂 昌子 | 山梨県南アルプス市 | 83 |
引率教師を発狂さすほどの衝撃音と無数の切手 | 林 美保子 | 愛知県小牧市 | 84 |
「終戦直前の手記」、〝もう駄目〟と観念したことも | 黒須 富子 | 東京都 | 94 |
学童集団疎開から帰り大阪空襲の悲劇に遭遇 | 妹尾 昭人 | 千葉県野田市 | 78 |
大阪大空襲で奇跡的に焼け残った我が家今も | 藤岡 冨愉子 | 大阪府富田林市 | 76 |
父経営の「錦湯」、アパートも焼く、家族は九人全員が無事 | 永井 新一 | 広島市 | 82 |
神戸大空襲、爆弾投下の中、生き延びたのが不思議 | 米澤 鈴子 | 兵庫県姫路市 | 84 |
母「死ぬ時は一緒」と防空壕に入らず | 大川 百登栄 | 大阪市 | 80 |
召集二週間後に四日市空襲で部隊全焼し、解散帰宅 | 松下 昭 | 大阪府守口市 | 86 |
原爆地獄の中、看護婦として救護にあたる | 奥谷 美枝子 | 鳥取県 | 88 |
勝利を信じ家族ぐるみ一心不乱に闘う | 渡辺 陽子 | 鳥取県境港市 | 82 |
消えた町――福岡大空襲の夜 | 門田 照子 | 福岡市 | 79 |
長兄は広島で被爆、次兄は沖縄で戦死 | 保坂 和子 | 東京都 | 78 |
与論島沖で父の乗った船が撃沈されるのを目撃 | 原田 泰年 | 大阪府守口市 | 80 |
陸軍の八尾飛行場で整備士。燃料は片道のみ | 吉川 晋吾 | 大阪府東大阪市 | 85 |
信州に疎開した精華高等女学校の学校工場 | 小森 恵己子 | 横浜市 | 84 |
動員の赤羽造兵廠で〝証拠隠滅〟の炎見る | 狐崎 トシ | 東京都小平市 | 83 |
疎開者はたたかれても負けない | 高橋 由子 | 山形市 | 82 |
「富士丸の遭難」二人の文の奇跡に出会う | 廣繁 喜代彦 | 東京都 | 85 |
◆第二部 国外での体験 | |||
家族の一員だった愛馬「あお」の出征 | 藤澤 豊 | 札幌市 | 80 |
敗戦を知らず、ビルマのジャングルで戦い続ける | 神田 敏彦 | 福岡県宇美町 | 95 |
妹失うも新潟刈谷田開拓団から決死の逃避行 | 星野 理絵 | 新潟県美附市 | 77 |
興南・日本窒素肥料の社宅で過ごすも暗転の逃避行 | 鴨井 享子 | 岡山県倉敷市 | 88 |
赤ん坊(私)は奇跡的に生き続け死ななかった | 村上貴美子 | 兵庫県伊丹市 | 68 |
朝鮮総督府で敗戦の報聞く。その後の逃避行 | ウィルソン千恵子 | 米国カリフォルニア州 | 86 |
朝鮮で生まれた十四歳の少女、死線を越え帰国 | 山本 寿子 | 兵庫県加西市 | 83 |
大連で生まれ敗戦後の満州で激浪の日々 | 外崎 康宏 | 千葉県我孫子市 | 77 |
恐怖の引揚げ体験、今も思い出す | 池田 要子 | 新潟市 | 80 |
弟は水葬になるも私は瀕死の淵で生かされた | 矢満田 智康 | 埼玉県狭山市 | 78 |
戦後、鞍山市霊山区で暴民に家族が何度も襲われる | 佐藤 元子 | 神奈川県川崎市 | 79 |
人間を餓鬼道にした満州での極貧生活 | 石井 幸子 | 水戸市 | 80 |
悲劇は戦争終結後のシベリア抑留体験 | 中島 修一 | 東京都三鷹市 | 88 |
◆第三部 亡き人たちの証し | |||
語られなかった父の学徒召集と被爆体験 | 大曽根 邦彦 | 水戸市 | 55 |
戦中の厳しさを教師として生き抜いた母の遺稿 | 平出 有子 | 埼玉県所沢市 | 71 |
結核の弟に母の叫び「政雄ここへ帰っておいで」 | 佐藤 ふさゑ | 東京都 | 78 |
「お父さんはお星さまになったのよ」 | 田村 ひろ子 | 神奈川県 | 74 |
父戦死で運命狂うも、しっかり支えてくれた母 | 小川 美代子 | 東京都八王子市 | 79 |
ガダルカナル島を家族で訪れ散骨 | 阿部 フミ子 | 宮城県登米市 | 83 |
◆第四部 戦後、それからの私たち | |||
戦後の広島を原爆にしがらみの中で生きた我が家族 | 中本 芙媄代 | 広島市 | 78 |
敗戦後の傷病兵受入れで倒れ、身障者に | 平城 エミ | 鹿児島県伊佐市 | 87 |
◆第五部 特別編 | |||
血書を書いて志願した回天特攻・塚本太郎君を憶う | 小俣 嘉男 | 東京都 | 93 |
駆逐艦「桑」、オルモック湾で敵駆逐艦と交戦沈没 | 山本 貢 | 山口県熊毛郡 | 95 |
ポナペ島から死線を越え沖縄へ、さらに激戦の渦へ | 上江洲 清 | 兵庫県尼崎市 | 75 |
玉砕のテニアンで艦砲射撃の恐怖にさらされる | 松田 朝徳 | 沖縄市 | 79 |
「忘れ得ぬ幼児の記憶」を記録に描き残す | 五味 和男 | 北海道帯広市 | 75 |
「鉄の赤いぼたん雪」生と死の別れ路 | 山田 はつ江 | 京都市 | 90 |
戦争は敵愾心を植え付け人間を野獣に変身させる | 石川 クニ | 福島県二本松市 | 94 |
◆第六部 学童疎開の記憶 | |||
東京都は他県より早く五月に学童疎開を実施 | 木村 良夫 | さいたま市 | 80 |
虚弱児童施設の「健康学園」(伊東)に集団疎開 | 吉岡 博之 | 横浜市 | 82 |
台湾での疎開学園、陸軍の砲弾運び手伝う | 北原 幸夫 | 福岡市 | 80 |
沖縄県宮古郡池間島から台湾に疎開 | 與那覇 正子 | 沖縄県浦添市 | 81 |
韓国の京城でも学童集団疎開行われる | 田中 律子 | 広島県廿日市市 | 80 |
学童疎開船「対馬丸」の悲劇、私もあわや | 源河 圭一郎 | 那覇市 | 78 |
空腹で番長の食支配、クーデター騒ぎに | 近藤 穣 | 埼玉県入間市 | 78 |
名刹、静岡奥山の「方廣寺」に五百人が集団生活 | 中野 登美 | 東京都 | 79 |
富士のふもとへ疎開、東京に帰り空襲に遭う | 新井 利子 | 東京都 | 81 |
過酷!集団疎開から帰阪し大空襲に巻き込まれる | 大海 一雄 | 神戸市 | 81 |
終戦前日、疎開した我が家の家の隣家に爆弾、あわや | 両角 サヨ子 | 千葉県市川市 | 80 |
学童疎開、地元の人々の温かい心遣いに感謝 | 勝山 正 | 千葉市 | 82 |
よい体験になったが、二度とあってはならない | 岡本 治子 | 山口県岩国市 | 78 |
学童集団疎開、忘れられない腹ぺこの辛さ | 堀 幸夫 | 神奈川県川崎市 | 80 |
疎開地も戦場だった――「集団疎開日記」から | 木下 務 | 東京都 | 81 |
最年少の寮母、学童と共に過ごし母代わりにも | 中村 千鶴子 | 大阪市 | 88 |