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2011年08月01日(月)
2011年08月01日(月)
目次 | 著者 | 住 所 (投稿時) |
年 齢 (投稿時) |
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◆第一部 国内での体験 | |||
広島市千田町の電車の中で被爆 | 伊藤 晶 | 三重県桑名市 | 85 |
ピカの爆風で寮の下敷きになり観念したが―― | 隈本 寛子 | 横浜市 | 82 |
運命の六日、原爆の熱線受けるも助かる | 川﨑 治 | 三重県伊勢市 | 86 |
広島師範学校の校庭で被爆、発熱で意識不明に | 寺西 勝利 | 広島市 | 故人 |
厩橋は火で通れず立ち往生、工場の扉開く | 伊能 政子 | 茨城県笠間市 | 84 |
けやき並木が炎のトンネルと化す恐怖 | 桝永 勝 | 東京都 | 84 |
東京大空襲で菊川に飛び込み私だけ助かる | 若杉 照子 | 東京都 | 79 |
東京大空襲、炎の中を母の叱咤で逃げのびる | 浅野 みどり | 横浜市 | 74 |
全焼した校舎「私たちの手で」の意気込み | 富岡 陽子 | 東京都 | 79 |
終戦の日、星空眺め「平和」を実感 | 郷田 知美 | 東京都武蔵村山市 | 81 |
大阪大空襲で母は西島国民学校に避難し無事 | 福永 豊 | 大阪府枚方市 | 80 |
八尾で夜間に電車が狙われ爆弾投下される | 林 昭夫 | 大阪府柏原市 | 80 |
大阪堺筋に空襲中のB29が墜落し炎上 | 柿花 ミサ子 | 大阪市 | 故人 |
愛国心に燃え看護婦となって大阪陸軍病院で働く | 森 ふみ子 | 彦根市 | 86 |
青森空襲で父爆死、終戦が五日早ければと無念 | 石郷岡 せつ子 | 青森県北津軽郡 | 80 |
日立で艦砲射撃を受け、振り替え休みで助かる | 所 美恵子 | 茨城県東茨城郡 | 81 |
爆撃され多くの犠牲者出した千葉師範の学校工場 | 中西 百合 | 千葉市 | 84 |
浜松空襲で新型油脂焼夷爆弾にやられ大火傷負う | 木津 正男 | 浜松市 | 84 |
私も対戦車部隊の特攻隊員だった | 大沢 甲子男 | 愛知県稲沢市 | 86 |
岐阜空襲、防空壕から脱出し助かる | 小谷 勝一 | 千葉市 | 79 |
岐阜空襲で家族は助かるが、父はビルマで戦死 | 浅野 さだ子 | 岐阜市 | 72 |
メチルアルコール飲み盲人となった父 | 長田 あいゆ | 福岡県北九州市 | 72 |
「文ちゃん、おあがり、白いご飯よ」 | 佐藤 宏子 | 大分県 | 82 |
空襲下の徳之島、命がけで父の葬儀 | 坂木 てい子 | 茨城県取手市 | 91 |
母に聞く学童疎開船「対馬丸」の悲劇 | 上野 和子 | 栃木市 | 63 |
多感な少女期、家族の分散は大きく影響 | 渡辺 雅子 | 千葉県習志野市 | 77 |
東京から疎開した熊本でまたも空襲に遭う | 中村 敏和 | 千葉県 | 78 |
集団疎開児童、卒業式に東京へ帰り悲劇 | 熊倉 芳枝 | 神奈川県厚木市 | 87 |
低学年女子学徒勤労報国隊で風船爆弾作る | 北野 英子 | 千葉県柏市 | 80 |
長崎の空に立ち上る原爆雲を見て、広島へ急いで帰る | 坂井 タニ | 長崎県大村市 | 93 |
◆第二部 国外での体験 | |||
家に火を放ち周家開拓村を後にする | 小川 ぎん | 静岡県浜松市 | 83 |
パナマへ移民、戦争のため捕虜交換船で帰国 | 杉山 とよ | 静岡県沼津市 | 97 |
「依蘭開拓団」鉄船で脱出、全員が帰国果たす | 黒見 武四郎 | 鳥取県境港市 | 76 |
「義勇隊訓練生の軍属八十人」四道嶺貨物廠でかく戦えり | 塚野 庸男 | 大津市 | 83 |
旅順陸軍病院から患者さんと共に海城を経て帰国 | 清浄 かね | 水戸市 | 85 |
救護班佐賀支部の一員として北京、天壇などで働く | 溝上 シヅエ | 佐賀県杵島郡 | 87 |
召集受け従軍看護婦として南方を転戦 | 稲垣 茂子 | 千葉県東金市 | 89 |
各地の陸軍病院を転属、実弾射撃の訓練も | 清水 サチエ | 東京都 | 91 |
中国へ残留、看護婦として定年を迎え、日本へ帰る | 山川 敬子 | 神奈川県藤沢市 | 75 |
戦艦「武蔵」の乗組員として海中から最期を見守る | 伊藤 三郎 | 岩手県 | 87 |
何度も輸送船が撃沈されるも運良く助かる | 鈴木 正巳 | 栃木県那須烏山市 | 88 |
特務艦「足摺」が撃沈されるも九死に一生を得る | 白瀬 梅雄 | 長野県佐久市 | 90 |
硫黄島到着直前に輸送船撃沈、九死に一生 | 安原 晴源 | 島根県安来市 | 88 |
輸送船「室戸丸」が撃沈、漂流後救助される | 吉林 武 | 香川県坂出市 | 82 |
受領した兵員輸送中、船が撃沈され多くの死者 | 丸山 菊夫 | 佐賀県 | 88 |
恵須取で北の守りにのぞんだ「女子監視隊」 | 秋山 和恵 | 静岡県富士市 | 86 |
樺太から第二新興丸に乗船するも、母と姉は海中に | 小出 美子 | 東京都 | 78 |
父母とも満州の土となり、初めて祖国の土を踏む | 南 満江 | 神奈川県厚木市 | 91 |
母と妹は満州の土となり、上の妹と祖国の土をふむ | 椎原 ミツ子 | 大分県国東市 | 75 |
二十年一月結婚し渡満、七月召集で夫還らず | 関口 さと乃 | 新潟県上越市 | 91 |
台湾の日赤病院で傷病兵と共に戦中を生きる | 河原 真理子 | 大分市 | 86 |
台湾空襲下の出産とマラリアからの生還 | 跡部 美代子 | 大阪府大阪狭山市 | 96 |
輸送船が揚子江安慶で撃沈、九死に一生得る | 興津 秀男 | 静岡市 | 88 |
中国で数多くの作戦に従軍、重傷負うも復帰 | 池田 満 | 広島県呉市 | 91 |
紙一重のウンに助けられて | 金江 保子 | 大分市 | 85 |
ビルマ戦線から奇跡の撤退 | 増渕 正二 | 宇都宮市 | 89 |
ヤップ島で生まれた私、奇跡の引揚げ | 松村 千津子 | 横浜市 | 67 |
終戦の日、漢口の地で私の身におこったこと | 駒木 泉 | 大阪府高槻市 | 67 |
◆第三部 亡き人たちの証し | |||
レイテ島の戦いで玉砕した兄の遺骨を探して | 久保田 幸 | 横浜市都筑区 | 89 |
母は泰明国民学校の教師として殉職 | 俵田 美世子 | 東京都 | 85 |
兄たちの墓石に並べ「鎮魂の歌碑」を建立 | 藤田 三夫 | 静岡県浜松市 | 85 |
二度目の召集で父戦死、家族は塗炭の生活 | 山本 初榮 | 尾道市 | 80 |
戦死した父のことを母はほとんど語らず | 菅原 實 | 神奈川県南足柄市 | 70 |
父の戦病死も知らず、母子が歩んだいばら道 | 亀岡 哲典 | 松山市 | 74 |
硫黄島で戦死した父の証しは写真裏の文字だけ | 松岡 紀代子 | 熊本県菊池市 | 70 |
海軍で出征した弟「戦艦不知火」と共に還らず | 松尾 房代 | 福岡県北九州市 | 95 |
結婚し勇躍渡満した姉、二児と共に帰らず | 伊藤 ミキ | 盛岡市 | 85 |
父戦死、三人の遺児を育ててくれた母に感謝 | 岸本 達子 | 京都府南丹市 | 66 |
◆第四部 戦後、それからの私たち | |||
「満州千振開拓団の夢」半世紀後の祖国に花開く | 中島 君江 | 栃木県 | 69 |
我が家は家族十人が、こうして再生した | 長谷川 豊 | 埼玉県南埼玉郡 | 78 |
母が苦労して買ってくれた「軍靴とYシャツ」 | 傳田 恭昭 | 埼玉県ふじみ野市 | 76 |
◆第五部 特 別 編 | |||
戦中戦後をドラマのように生きた私の奇跡 | 中川 ●志 | 東京都世田谷区 | 89 |
原爆下での奇遇な出会い。献身的な看護に恋心 | 山口 澄夫 | 宮崎市 | 89 |
特攻の使命感に燃える兄と、悲しき〝軍国の母〟 | 村上 凡子 | 奈良県生駒郡 | 82 |
モンゴル独立を夢見た父の地「張家口」を訪ねる | 平松 幸一 | 神奈川県厚木市 | 79 |
2011年08月01日(月)