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2003年08月01日(金)
目次 | 著者 | 住 所 (投稿時) |
年 齢 (投稿時) |
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◆第一部 国内での体験 | |||
五、六年が敵味方に分かれての戦闘場面を映画に | 内田 加津子 | 東京都 | 72 |
私は五〇〇分の一、防空壕から奇跡の生還 | 小林 芳雄 | 大阪府豊能郡 | 63 |
意を決し日赤へ。凛たる覚悟の日々 | 神山 昌子 | 北海道旭川市 | 78 |
ベルトコンベアの流れ作業でスコップを握る | 菊田 桂子 | 東京都 | 73 |
都心の「写真工業発祥の地」で女子挺身隊として働く | 野坂 裕子 | 島根県安来市 | 73 |
「在京学徒樺太孤児」と呼ばれた時期があった | 和気 千恵子 | 宇都宮市 | 77 |
棒倒しで精神鍛練の日々 | 小林 繁樹 | 埼玉県所沢市 | 74 |
灰色の青春時代だったが得たものは大きい | 井上 照代 | 東京都 | 77 |
三月十四日、焼け跡の中を港区から上六まで歩く | 華房 みつる | 大阪府松原市 | 68 |
大阪大空襲で母と弟が炎の犠牲に | 八木 義正 | 岡山県倉敷市 | 64 |
四日市空襲で九死に一生の体験幾度も | 山本 忠雄 | 新潟県上越市 | 67 |
神戸大空襲の恐怖体験は今も消えない | 竹内 彌生 | 松山市 | 65 |
空襲下の神戸を逃げまどい目にしたもの | 中村 友恵 | 兵庫県美方郡 | 76 |
徴用工として大阪造兵廠で弾丸造りの日々 | 田村 由太郎 | 大阪市 | 77 |
あの恐怖を、決して忘れることはできない | 菱山 正美 | 北海道川上郡 | 65 |
私の体と心に傷跡を残したヒロシマのあの日 | 佐甲 信雄 | 神奈川県川崎市 | 77 |
右腕に焼夷弾が直撃、医者に切断をことわる | 高橋 實 | 仙台市 | 72 |
私の心の戦傷は未だ完治していない | 菊地 京子 | 千葉県流山市 | 73 |
許婚が戦死、白木の箱を抱く | 小山 枝美子 | 岡山市 | 74 |
食糧難時代を北海道の大地とともに工夫して生きる | 稲益 篤子 | 北海道北広島市 | 70 |
私の周囲に色濃く残る戦争の傷跡 | 松尾 英生 | 北海道砂川市 | 61 |
相模湾の砂浜に戦車を埋め米軍の上陸に備える | 山下 俊 | 岡山県久米郡 | 77 |
あの戦争は私たちにとってなんだったのだろうか | 土岐 きぬ子 | 岐阜県中津川市 | 83 |
敗戦の痛哭、白昼の悪夢に身を震わせる | 小原 信夫 | 高松市 | 82 |
多くの肉親が英霊に、私たちは堺空襲で焼け出される | 嶋村 和子 | 大阪狭山市 | 74 |
玉音放送と暗号書焼却 | 莇 賞太郎 | 東京都 | 77 |
「平塚の町がなくなってしまった」と感じた | 太田 耕平 | 茨城県藤代町 | 67 |
祖父の親切心から無限のものを学ぶ | 佐藤 茂造 | 大阪府南河内郡 | 70 |
◆第二部 国外での体験 | |||
興安からの逃避行で母と弟を失い、私たちは孤児に | 海沼 満子 | 札幌市 | 62 |
内蒙古からの引揚げ後も辛酸苦難の生活だった | 毛利 悦子 | 島根県大原郡 | 66 |
満州からの逃避行中に赤ん坊を産み、ともに引揚げる | 荒井 ヤエ子 | 福岡県直方市 | 81 |
犠牲者を出しながらも内蒙古から祖国へ | 末光 時枝 | 大阪府箕面市 | 65 |
亡き母の戦前・戦後、渡満し夫と新天地求めたが | 辻 睦子 | 鹿児島県川辺郡 | 65 |
マラン病院で従軍看護婦として青春を燃焼 | 山田 富久 | 滋賀県八日市市 | 76 |
ビルマ白骨街道を独り後退の奇蹟 | 林 又左衛門 | 福井市 | 89 |
飛龍から生還した夫、ひたすら戦友の供養人生 | 清水 淳子 | 徳島県海部郡 | 80 |
知られざる陸軍水上特攻隊の秘話 | 新江 悟 | 大阪府枚方市 | 76 |
乗艦した艦艇が次々と沈み九死に一生を得る | 岡崎 三夫 | 千葉県市川市 | 79 |
遥かなる青春の地「南京」での伝染病棟勤務 | 小川 静枝 | 神奈川県愛甲郡 | 83 |
貨車五輌を、患者輸送列車に連結し避難民を輸送 | 赤嶺 新平 | 大分市 | 80 |
銃を胸に突きつけられ、死と向かいあった日々 | 高橋 英子 | 秋田県仙北郡 | 75 |
樺太真岡でソ連の艦砲射撃を受ける | 稲荷 正明 | 北海道網走郡 | 68 |
ジャングルでの飢餓体験、先輩の注意で救われる | 向井 四郎 | 神奈川県鎌倉市 | 80 |
北千島占守島の終戦秘話 | 高原 精治 | 北海道空知郡 | 81 |
ペニシリンのおかげで四人が生をつなぐ | 小田島 隆 | 盛岡市 | 62 |
後世に伝えたい平和の尊さ | 市川 英司 | 新潟市 | 78 |
捕虜との出会いが反戦感情を育む | 滝口 岩夫 | 大阪市 | 80 |
若い兵士の小指 | 徳田 健一 | 福岡県甘木市 | 84 |
◆第三部 亡き人たちの証し | |||
大金庫の前で殉職!逓信官吏の華と散った父 | 中島 吉美 | 長野市 | 74 |
樺太からシベリアに抑留され還らなかった祖父 | 虎渡 美智子 | 秋田県鹿角市 | 62 |
新宅自慢の一人息子であった烈男兄の戦死 | 釜田 玉枝 | 兵庫県佐用郡 | 66 |
一子を宿し矢矧で沖縄戦に死の旅立ち | 足立 サツキ | 大分県大野郡 | 80 |
兄は私の胸の中に今も生きている | 北川 和雄 | 秋田県山本郡 | 66 |
死の一か月前、戦友に手紙を託した兄 | 仲村 ミヨシ | 大分郡東国東郡 | 76 |
父の玉砕で苦境に立った母に感謝の日々 | 佐々木 彰子 | 福島県いわき市 | 65 |
父の遺句「旅にねて元気なすがた夢に見る」 | 谷口 篤 | 鳥取県八頭郡 | 66 |
叔父の戦死を平成の時代に知る | 林 政子 | 岡山市 | 65 |
結婚一か月で出征、遺児とともに波乱の戦後を生き抜く | 松田 よしの | 東大阪市 | 80 |
夫が戦死した南方の島で住民に温かく迎えられる | 山崎 一代 | 兵庫県上田市 | 85 |
父の温もり―形見の軍服に今も漂う | 壷内 良子 | 愛媛県今治市 | 62 |
父と母の生きた時代に学ぶ | 今村 誠一 | 鹿児島市 | 63 |
田奈部隊へ動員中、学友六人が犠牲となる | 鈴木 伸一 | 横浜市 | 75 |
川崎航空機工場に動員された小林中学三年生十人が犠牲に | 赤川 和弘 | 都城市 | 73 |
私の肉親にも二人の戦死者 | 鈴木 五朔 | 宮城県白石市 | 74 |
暗闇のプラットホームで無情にも最期の別れ | 里神 久美子 | 岩手県船渡市 | 81 |
◆第四部 戦後、それからの私たち | |||
祖国と土が生きることを学ばせた | 角谷 秀雄 | 佐賀市 | 79 |
開拓時代を支えあった親子の軌跡 | 浅場 ケイ子 | 神奈川県藤沢市 | 70 |
親孝行のつもりで開拓地に生きるも失敗の連続 | 山上 正 | 鳥取県倉吉市 | 78 |
家族全員の努力で戦後の食糧危機を乗り越える | 瑞慶覧 長和 | 沖縄県 | 78 |
戦後を闘い抜く中で生徒達と多くを学ぶ | 獺越 ヒデ子 | 宮崎県児湯郡 | 80 |
結核の夫とともに戦後を必死に生き抜く | 畑 妙 | 横浜市 | 81 |
命がけの買い出し | 小谷 滋彦 | 大阪府寝屋川市 | 72 |
夫は戦犯となりモンテンルパ収容所へ | 森下 フク | 大分県野津原町 | 83 |
三人の子どもを育て上げてくれた母に感謝 | 青木 マリ子 | 長野県南安曇郡 | 64 |
生還し飢えて廃墟をさまよう | 宮前 昇 | 埼玉県秩父市 | 80 |
変装させたりして民間人を同行する | 金田 喜久雄 | 埼玉県川口市 | 78 |
復員から五年後にやっと父が奉職する | 坪野 洗次郎 | 新潟市 | 69 |
「玉砕」の美名のもと葬り去られていた「浜島実」 | 宮崎 千恵子 | 千葉県我孫子市 | 70 |
戦中のブランクを通信教育で必死に取り戻す | 西岡 孝 | 福島県会津若松市 | 79 |
◆第五部 特 別 寄 稿 | |||
悲惨、夫が描き残した『東安省饒河県の末路の絵』 | 中山 茂子 | 香川県香川郡 | 80 |
母が書き遺した満州引揚げ体験の絵 | 稲葉 知子 | さいたま市 | 55 |