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1991年08月01日(木)
竹村 健一(たけむら・けんいち)
1937年大阪市生まれ。この年に日中戦争が始まる。
1945年3月13日〜14日大阪大空襲にあう。本書はそのときの体験談。
小学2年生で終戦を迎える。敗戦後、小学校時代は、食べ物、学用品、衣類、生活などすべての物に不自由な時代を過ごした。
1961年から37年間、大阪府松原市の小学校へ勤務。戦中・戦後の体験を「大阪大空襲の夜」や姉妹編「はらぺこのうた」に描く。
多くの子どもたちや保護者と共に、実体験を中心にして、「平和学習」に取り組んでいる。
【著者ホームページ】
たぬきクラスメモリー(http://www.sakai.zaq.ne.jp/tanuki-cm/)
1991年08月01日(木)
数多くの証言を長期連載で収録。昭和50年7月3日から始まり5千回を超した戦争シリーズ。
1991年08月01日(木)
目次 | 著者 | 住 所 (投稿時) |
年 齢 (投稿時) |
---|---|---|---|
◆第一部 国内での体験 | |||
長崎が灰燼と化した日、母を求めて | 浦田 千鶴子 | 長崎市 | 65 |
死神に見放された特攻機 | 武部 勝 | 京都市 | 62 |
元捕虜のオーストラリア兵士が来訪、涙の再会 | 杉野 浩二 | 富山市 | 64 |
沖縄戦で敵弾を受けたが助かった私 | 野崎 やす子 | 大和市 | 68 |
新聞紙に食物の絵を描き飢えと闘う | 遠藤 トク | 南陽市 | 61 |
銃後も悪戦苦闘の毎日だった | 河村 タカ子 | 東京都 | 76 |
痛まし、青春を祖国に捧げた若者たち | 竹尾 忠幸 | 広島県甲奴郡 | 73 |
紅蓮の炎の中を逃げまどったあの日 | 馬篭 千枝子 | 取手市 | 63 |
関門海峡に浮かぶ孤島の戦争 | 安藤 敦子 | 福岡県 | 69 |
奇跡の生還、三たび | 照崎 忠雄 | 堺市 | 65 |
学徒動員で散った若き私の教え子 | 塩原 恒子 | 松本市 | 66 |
風船爆弾作りに燃えつきた青春 | 高見沢 幸子 | 千葉市 | 62 |
東京大空襲・炎の中で生きのびた父 | 中村 市郎 | 大津市 | 64 |
軍需工場に捧げた青春 | 笠原 徳 | 浦和市 | 68 |
いっぱしの愛国少女だった私 | 有田 梢 | 岩国市 | 63 |
血気に燃え、憧れの看護婦へ | 末広 和子 | 大阪市 | 63 |
「戦争の証言」五月になると竹下町が呼ぶ | 調 靖子 | 東京都 | 66 |
空襲で召集延期になって | 北野 恵美治 | 大阪市 | 88 |
母子生きのびた東京大空襲の悪夢 | 酒井 美津 | 町田市 | 71 |
地獄絵だった原爆の広島 | 小林 寛滋 | 寝屋川市 | 67 |
焼けた母校「熊本中学」 | 塚本 厚 | 熊本市 | 60 |
姫路大空襲、弟妹三人連れて逃げまどう | 熊橋 とみ子 | 神戸市 | 60 |
炎の中を逃げのびた私と弟 | 名村 喜代子 | 川西市 | 63 |
みたび体験した空襲の恐ろしさ | 井上 輝夫 | 八幡市 | 73 |
火の粉をくぐり大阪城へ | 橋本 たまゑ | 茨木市 | 70 |
百八十度転換にとまどったのは私だった | 紫垣 敏子 | 大分市 | 73 |
痛恨! 閉ざされた道 | 渡辺 正士 | 旭川市 | 68 |
大阪大空襲「四天王寺五重塔」の炎上 | 藤井 嘉夫 | 東京都 | 59 |
終戦前夜、伊勢崎空襲のむごい出来ごと | 星野 正明 | 伊勢崎市 | 58 |
息子よ、ほんとに有り難う | 飯田 孝子 | 越谷市 | 75 |
「亡き戦友に申し訳なし年迎ふ」 | 林 駿三 | 新潟県中蒲原郡 | 68 |
心に響く祖父母たちの戦争体験 | 村瀬 千春 | 富山市 | 18 |
◆第二部 国外での体験 | |||
サイパン島で体験した「戦争という地獄」 | 久永 義仁 | 鹿児島市 | 58 |
ハルピン収容所の土となった弟 | 来須 富子 | 豊中市 | 61 |
収容所は病魔の巣窟、わが子も幼い命を閉じる | 岡田 キヨ子 | 取手市 | 69 |
消え去ることのない赤い夕陽の満州 | 伊藤 成子 | 名古屋市 | 64 |
比ミンダナオ島ダバオの悲劇 | 石原 喜与次 | 富山県 | 78 |
終戦後も続いたサハリンの生き地獄 | 上田 弘子 | 小樽市 | 67 |
今も瞼に焼きつくサハリン真岡の惨状 | 河本 陽子 | 旭川市 | 61 |
実現しなかったサハリンからの脱出 | 小島 光枝 | 北海道 | 62 |
敗戦のショックにピストル自殺を図る | 本村 憲二郎 | 堺市 | 72 |
キスカ島から奇跡の脱出 | 竹島 秀雄 | 北海道 | 69 |
民衆裁判で銃口に立ちはだかった夫 | 藤田 スガエ | 福岡県 | 80 |
あわや全滅の戦況から勝機を開いた初年兵の絶叫 | 中西 伊三郎 | 東大阪市 | 80 |
玉砕を覚悟で身辺の整理 | 神部 忠雄 | 小松島市 | 69 |
逆転 | 斎藤 欣一 | 沼田市 | 61 |
見捨てられたブカ島に生きて | 安田 勇治郎 | 西宮市 | 72 |
終戦後に泣いた妻たち | 目片 さだ | 滋賀県神崎郡 | 72 |
私も海軍に志願、南方でタイピスト | 橋 花子 | 根室市 | 67 |
くぐり抜けた幾多の死線 | 中山 繁雄 | 東京都 | 68 |
水牛は私の命の恩人 | 諏訪 茂 | 岩槻市 | 62 |
悲壮な父の餞別の言葉 | 新津 良次 | 神奈川県 | 72 |
親にもらった生涯失うことのない財産 | 早川 利浩 | 宮崎市 | 69 |
悔いを残した終戦後の一戦 | 三浦 智一 | 取手市 | 70 |
シベリアへの道 | 進 収三郎 | 宝塚市 | 70 |
撃沈! 輸送艦「塩屋」の最期 | 片岡 孝一 | 狭山市 | 67 |
つつ抜けだった我が軍の行動 | 稲葉谷 速夫 | 米子市 | 71 |
帰国できず、朝鮮戦争にも中共軍として参加 | 門馬 保夫 | 東京都 | 62 |
マンダレー会戦最期の日 | 名所 茂 | 京都市 | 68 |
「話を聞いてくれてありがとう」 | 村上 ふみ | 島根県隠岐郡 | 72 |
永い苦節の末の栄光 | 渡辺 要三 | ブラジル | 75 |
日系二世ヘレンさんと日米戦争 | 永井 千香子 | 米国在住、日本語講師 | 23 |
◆第三部 亡き人たちの証し | |||
甲子園がはじまると弟を思う | 鶴原 晶子 | 高槻市 | 76 |
何度も死地をくぐり抜けた私の兄 | 森本 節子 | 桑名市 | 71 |
一度ならず二度までも命の恩人、田中さん | 栗岡 恒吉 | 河内長野市 | 72 |
現役から征ったまま還らぬ叔父 | 松村 チヨ子 | 大阪市 | 53 |
運命なのか「兄の戦死」 | 藤林 悦雄 | 枚方市 | 70 |
お前たちにこんな伯父叔母さんがいた | 土田 喜三 | 東京都 | 80 |
亡き夫と語る | 奥田 田鶴 | 京都府 | 76 |
「七たび生まれ替わって祖国のために」と言った兄の死 | 石丸 タマ子 | 岸和田市 | 60 |
明暗わけた兄の運命 | 山田 貞代 | 交野市 | 54 |
戦争に青春を捧げた二人の親友 | 吉田 辰造 | 大阪府 | 75 |
南の果てに散った兄 | 外田 法子 | 大阪市 | 66 |
「久邦」兄さんのこと | 西崎 真子 | 高槻市 | 53 |
四人の息子を失った父母の慟哭 | 五十嵐 万佐 | 山形市 | 66 |
兄への鎮魂歌 | 益谷 正子 | 大阪市 | 65 |
胸つまる息子の最後を知らせた手紙 | 古谷 竹野 | 岡山市 | 90 |
ある生と死 | 大園 和子 | 尼崎市 | 66 |
ヒロシマ | 橋爪 文 | 鎌倉市 | 60 |