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旧刊

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『大阪春秋第96号』

表紙について(きり絵・加藤義明氏)
泉北高速鉄道「泉ヶ丘」駅は、泉北ニュータウンの玄関。千里ニュータウンを上回る規模の開発が始まったのが昭和41年3月、泉ヶ丘駅開業は同46年4月、このときニュータウンの人口2万人、現在14万6843人(7月末現在)。6月には大型児童館ビッグバンがオープンし、駅前は装いを新たにした。

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osakashunju1097

『大阪春秋第97号』

表紙について(きり絵・加藤義明氏)
昭和43年(1968)、日本人として初のノーベル文学賞を受賞した川端康成は、明治32年(1899)、大阪天満に生まれた。大阪天満宮の南東の生地にはいま、料亭「相生楼」が建ち、玄関右手に「川端康成生誕之地」碑が建つ。

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osakashunju1098

『大阪春秋第98号』

表紙について(きり絵・加藤義明氏)
岸和田城の始まりは南北朝時代にさかのぼるといわれるが、天守閣が竣工し近世城郭としての体裁を整えたのは慶長2年(1597)。城下町が形成されるのもこの頃からとされる。文政10年(1827)落雷により天守閣焼失、明治維新の際、その他の櫓・門もすべて破却される。現在の天守閣は昭和29年建立。

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osakashunju1099

『大阪春秋第99号』

表紙について(きり絵・加藤義明氏)
壮士芝居を始めた角藤(すどう)定憲の初演は新町座であった。のちに新町演舞場となるが、いまその面影は(株)大阪屋本社ビル正面玄関に窺われる。角藤に刺激され、書生芝居を始めたのが川上音二郎、オッペケ節で名を上げる。新派の祖であり、礎となる。本文「川上音二郎(書生芝居)と角藤定憲(壮士芝居)」に詳しい。

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osakashunju1100

『大阪春秋第100号』

表紙について(きり絵・加藤義明氏)
大阪で唯一の路面電車として知られる阪堺線は、恵美須町から浜寺公園まで。天王寺からも住吉で乗りかえ浜寺公園まで走っている。堺の旧市内沿いに大路をゆくチンチン電車はのんびりした得がたい風物詩となっている。この終着駅で降り東へ折れると正面に南海本線の[浜寺公園駅」が見える。

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osakashunju1101

『大阪春秋第101号』

表紙について(きり絵・加藤義明氏)
この大番附「浪花方言〔上方なまり言葉〕」の勧進元・杉本宇造氏は、前田勇「近世上方語考」や牧村史陽「大阪方言辞典」を発行した杉本書店・前店主で、大阪ことばの研究に尽力された方である。三氏ともすでに鬼籍に入られ、今ごろ彼岸でどんな鼎談がなされているのだろうか。

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osakashunju1102

『大阪春秋第102号』

表紙について(きり絵・加藤義明氏)
昭和7年刊行の『近代大阪』(北尾鐐之助著、創元社)に「心斎橋筋は、云はゞ大阪における近代的流行の歩くところである。道頓堀から、この通りにかけて、二、三度歩いてみると、凡そ、大阪の流行といふやうなものを掴むことが出来る」とある。モダンボーイ、モダンガールが行き交った心斎橋筋は、いまも流行に敏感な若者たちであふれている。

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osakashunju1103

『大阪春秋第103号』

表紙について(きり絵・加藤義明氏)
あとひと月もすれば天神祭。大川をゆく船渡御の列、河畔の深い緑、水の都ならではの景観ではないか。夜景もまた格別だ。ライトアップされた銀橋上から遠目に白く輝く大阪城、まだ灯りの残るOBP高層ビル群、川面に映える光の波。そして花火。

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osakashunju1104

『大阪春秋第104号』

表紙について(きり絵・加藤義明氏)
昨年のシドニーオリンピックでは女子水泳陣の活躍が話題となったが、かつて水泳日本といわれたわが国、その基礎・発展に茨木中学(現・茨木高校)、いまも続く浜寺水練学校の果たした役割は大きかった。詳しくは本文を。

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osakashunju1105

『大阪春秋第105号』

表紙について(きり絵・加藤義明氏)
11月3日にオープンした大阪歴史博物館、並んで建つNHK大阪新放送会館にくらべると小さく感じるが、それでも地上13階・地下3階。難波宮の遺構も整備されている。

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